集団社会における生き方とは…
最近、やっと社会における生き方がわかってきたような気がする。 そして、いままでの自分の考え方がそんな社会で生きるのに適していなかったことにも。 自分一人で思いつめて悩んでいても、声に出して言わないと他人には分かってもらえない。 例え自分一人で考えて、考えて、考え抜いて答えを見つけても、一度集団社会に出るとそんな答えは通用せずに脆くも崩れ去る。そして、再び考えて、考えて、また崩れ去るという繰り返し。こんなことを繰り返していくと、徐々に自分と社会との解離が大きくなってしまい、最後には破綻を向かえてしまう。 家庭、学校、会社という集団社会で生きていくにおいては、常に社会と向き合って答えを出していく必要がある。 もし、どうしても社会に適応できなかったとしたら、そのときは一人で生きていく道を見つけないといけない。一人で生きていくためには、それこそ自分に向き合って答えを見つけていかなくてはいけない。 社会で生きていく、一人で生きていく、どちらも難しい生き方であるし、どちらか一方の生き方を選ぶこともできない。人間とは自分という個人であり、人間という種族であるのだから。 どちらの生き方を重視するかは人それぞれ。それこそ意見が異なって当たり前。 そして、いままで答えが分からずに生きていた自分。これから先も答えを探し続けていくのだろう。 答えを見つけるというのは、てっぺんの見えない塔を作っていくようなものだ。その塔が完成したとき、そのてっぺんに答えがある。しかし、苦労して塔を築いても、何度も何度も崩れ去る。どんなにもがいても苦しんでも塔は完成しない。しかし、あきらめず絶望せず、最後まで塔を築いていけば、きっとてっぺんに辿り着けるはず。