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[雑談] 知らず知らずにハマり込んでしまっている思い込みを解くことは出来るのだろうか?

 思い込みって怖いもので、「これは思い込みなんかじゃない!」と強く思っていることほど思い込みだったりする。間違ったことを思い込んでいて、それで行動したりすると取り返しが付かないことになったりもする。  では、果たして自分がハマり込んでしまっている思い込みは解くことは出来るのだろうか?という問題。  もし他の考えを知って思い込みが解けたと思ったとしても、それは別の思い込みによる上書きに過ぎないのでは無いだろうか?ちゃんと理屈があっての話だし、理屈もちゃんと通ってるのだから思い込みではないという場合も、その理屈自体が思い込みの産物であることもある。  まぁ結局のところ、思い込みに陥らないようにするには、物事について常日頃から懐疑的な視点を持っておくことが必要なのだろうと思う。ただそうは言っても、なんでもかんでも疑ってかかればいいというものでもなく、こと信頼関係が重要なときにはそういった態度は信頼関係を壊すことにもなり兼ねない。あれこれ考え過ぎるというのも疲れちゃうわけで。  おそらくこれは答えが出るような話でもないので、たまに頭の体操程度に自分が思い込みに陥ってないか考えてみるくらいでいいのかも知れない。思い込みが絶対にダメというわけでも無いわけだし、ちょっとくらいの失敗で気付き直せればそれはそれでOKだろうとも思う。

[雑談] マクロ視点絶対視という価値観と正義による暴力

 多くのものが集まる物事を見る時に、見方としては大きく マクロ的視点 ミクロ的視点 の2つに分かれる。 (その中間としてメゾ〜的視点なんていうのも入るかも知れないけど、今回は割愛)  「社会人は社会の歯車だ」という言葉。 これは人というのを社会人という大きなくくりとして見ている。マクロ視点。 (ここでは、この言葉自体が正しいとか間違っているということは扱わない)  では、この言葉を次のように言い換えたらどうなるか? 「お前は社会人なんだから社会の歯車に過ぎないんだよ!」 あえて乱暴な物言いとしたが、さてこれはどういう扱いとなるか。 まず「お前」と来ているため、それは人個人を示すためこれはミクロの話である。 そこに「社会人」というマクロの視点からの価値観が来ている。  論法的には お前は社会人だ 社会人は社会の歯車だ だからお前は歯車に過ぎない という構造。  重要なのは、最後の 「お前は歯車に過ぎない」 という視点は、これ単独では抜き出せないということ。ミクロとマクロの話が混ざってしまっているため適用範囲がこじれている。  人個人はあくまでも個人でしかなく、社会人というのはその個人が集まって形成される包括的な価値観。「お前は歯車に過ぎない」というのは個人には当てはまらないし、社会人というマクロ的視点が入り込まないときにはその言葉は意味を成さない。   昨今、こういったマクロとミクロをごっちゃにした話が人個人に対してぶつけられるということがよく見受けられる。確かに社会人という 「立場」 というのは日々生活する上では、常に付きまとってくる。だからといって、それは人個人、特に私的な内面の部分にまで当てはまるかどうかは疑問でもある。 そういう立場を軸に自己を確立している人もいるだろう。 しかしそうではなく、あくまでも個は個という価値観で自己を確立している人もいる。 自分が一体なんなのか、自分でも理解出来ないときもあるし、人生とは大概にしてそんなものかも知れないということもある。  マクロ視点というのは絶対のものでも無いし、ミクロの話と一緒に行うには慎重さを要する。これを絶対の価値観としてしまうと、最近何かにつけて取り沙汰される正...

[雑談] 自分のことを否定する言葉

あなたの好物がチョコレートをだとしよう。 あるとき他の人から 「チョコレートなんか好きなのか。だからお前はダメなんだ」 と言われたとする。 そのときあなたはその言葉をどう捉えるだろうか? 簡単に以下の2パターンを考えてみる。 「もしかしたら自分はダメなのかも知れない。チョコレートはやめよう」 「ダメなんかじゃない。そんなことを言われようとも、好きなものは好き」 その言葉から、それを受け止める場合とそれに対して反発する場合。 自己を否定される。その言葉を受けたときに人は一体どのように考えるのか。 否定されたことをそのまま受け止めてしまうか、 それとも 否定されたことに反発して自己の属性に対する認識を強固にするか。  簡単には「否定の言葉」は、自分のことに対する認識を揺らぎを与えて、それにより自分が自分のことをどう認識しているのかを考えることを誘発すると思われる。 否定の言葉を例にしたが、肯定する言葉、まったく関係ない言葉など、どれでも多かれ少なかれ同様の要素があるものであろう。  しかし、そもそも例に上げた否定の言葉自体の論理性がヒドい。 「チョコレートが好き」というのと「だからダメ」というのはそのままではイコールで結ぶことは出来ない。それをイコールで結ぶには、「なぜチョコレートが好きだとダメなのか?」が提示されそれが論理性のある説明で無ければならない。  なので、  「この人の言ってることはまったくおかしな話だ。相手にしないでおこう」 というようにもなる。先程「否定の言葉」で認識が揺らぐと書いたが、別に揺らぐ必要というもの無い。  そもそも他人の言葉で自己が揺らぐということ自体、自分自身の中で「自分」というものがあやふやな存在であるとも言えよう。仮に自分というのが強固な存在だったとしても、それは思い込みでしかない場合もあり、強固であるがゆえに脆いものでもあったりする。自分の中の自分の存在が弱いと、人の言葉を鵜呑みにして他人に左右されやすいということもあるだろう。  さて、そうなると人が考える「自分」とは一体なんなのだろうか?と疑問にもなるし、おそらくそれには答えもない。他人の言葉で揺らぎ、自分自身で考えることでも揺らぎ、強固であれば壊れやすく、弱すぎ...

[雑談] 事実と願望は違う

いつものブログとは趣向を変えて、少しばかり人が意見を言っていることに対して生じる齟齬を考えてみることにする。 何かしらの物事に対する意見として 「それはこういうことです」(事実としての言及) 「それはこうあるべきです」(こうであって欲しいという願望) というような2つのパターンがある。そしてこの2つは文章及び口頭においてはどちらのパターンを指しているのか判断出来ないことが多い。もし話し手が現実世界と精神世界の違いを意識していない場合、それはどちらの意味なのかは話している方も事実なのか願望なのかを分けて考えてはいないことになる。 それは聞き手の方も同様で、たとえ明確に事実としての言及があったとしても聞き手が事実なのか願望なのかを分けて受け取っているとは限らない。 これは現実世界と精神世界を明確に意識している人にも起こりえるだろう。人の思い込みというのは本人にしてみても強固なもので、事実だと思い込んでいるものが実際には願望を反映したものだということもあり得る。また信頼できる人から事実だと知らされていたことが、実際にはその人の願望を聞かされていたという場合もある。これまでの常識や理論では事実だったことも、それが根底からひっくり返るということも。 そして人はつまらない事実ではなく、こうあって欲しい、こうあるべきだという願望によって自らの行動を選択する。行動をせず現状維持という現実的判断をしている場合でも、「いまの状況は変えるべきではない」という願望から来ているのかも知れない。 (現状を変えるべきだという意見と、現状を変えるべきではないという意見のぶつかり合いは結局は両者の願望のぶつかり合いなのかも知れない) もし自分の意見が事実なのか願望なのかがハッキリしない場合、その意見がどういった考えや根拠から成り立っているのかを分析して調べていけばある程度は判別出来るだろう。 (昨今はフェイクニュースなどが多く氾濫しているため、そういう偽情報に引っかかると判別がそういったものに引きずられたものと化してしまうが) 結局のところ、無限に時間があっておまけに現在過去未来世の中のすべてを見通すことの出来る神の視点でも有していない限り、確実な事実などは持つことは出来ない。人は人としての限界がある以上、事実と願望が入り混じった中から何かしらを選択し続けていくし...

「これは絶対***だ!」のような断言系文言を読み取る方法

断言系文言とは 世の中、物事の判断で強く断言する文言が広く使われています。 「これは絶対***だ!」 とか 「そんなのは間違いに決まっている!」 などなど。 よくよく話を聞いてみると、ちゃんと説明してくれる場合もあります。しかし、そうではなく理由が全く説明されないこともよくあります。理由があっても単にそれっぽい話がこじつけられているだけだったり、 「そんなことも分からないのか!」 など、逆にこちら側に対して理由が分からないことを責めてくるような場合もあります。最近では 「ネットで調べればたくさんある」 なんてものよく見かけます。 断言とはいったいなんなのかよく考えてみる 一度立ち止まってよく考えてみましょう。本来は断言される文言の理由を持っているのは、そう断言した側のはずです。「調べれば分かる」というのも、調べる範囲が示されないのなら探しても理由にたどり着くのは非常に難しいです。調べた結果、まったく違う理由が出てくることもあるでしょう。 なので、このような断言系の文言については、本当に信頼出来る断言なのかを慎重に見定める必要があります。理由が説明されない、もしくはこちらを責めてくるようなのはあまり相手にしてもただただこちらの時間が浪費してしまうだけです。 また、世の中何かを断言できるようなことは非常に少ないです。学校の授業で出される問題は、あらかじめ答えが決まっている問題が多いです。しかし現実のこの世の中では物事は複雑に絡み合い、何か一つの答えを出せるものは限られています。極端ですが世の中は答えのない問題ばかりと言ってもいいでしょう。 あなたがもし断言している人を絶対の指導者として信じるのなら、その断言に従って行動するという選択になるかと思います。その人をまったく信じていないのなら、断言は妄言として捨て去るという選択になる。 しかし、信じる信じないではなく、事実関係を語っているかどうかで判断するのだとしたら、断言は別の意味で考えるのが得策となるでしょう。 断言をどのように読み取るのがよいか 始めに上げた 「これは絶対***だ!」 という文言。これの最後を「だといいなぁ」に置き換えてみましょう。すると 「これは絶対***だといいなぁ」 となります。「絶対」というのも取り去ると 「これは***だといいなぁ」...

現代社会における信頼性と多様な価値観について

ようやく現代社会における「信頼」とは何かという問いに対する解の取っ掛かりにたどり着けたかも知れない。 要は「対人関係」での信頼と「社会活動(ビジネス)」における信頼は別物のようだということ(職場での対人関係は要素が複雑なのでここでは考えない)。 「対人関係」においては、お互いの個としての人間性を見て信頼できるか判断される。 しかし 「社会活動(ビジネス)」においては、個人個人がその社会における役割を認識して、その役割を果たしているかどうかで信頼できるか判断される。 つまりビジネスでは「相手が望む役割を演じきれるか」が信頼できるかどうかの基準になるようである。 問題は、現実的にはビジネスと対人関係がまったく不可分ではないということに尽きる。例えばビジネスの場である会社での対人関係などは要素が複雑になる。 現在の日本のように社会性を元に信頼を構築しているような社会(他国ではどうかなんて知らんけど)では、それこそ個人同士の付き合いのコミュニティー、もしくは家に帰ったり実名性から離れられるネット空間という場でようやく社会における信頼性から切り離されて、個人同士の信頼性に身を置くことができる。 (しかしネット空間もSNSやネットビジネスなど急速に社会性を導入しようという波が来ている) どうやら一般の人というのはその両者の信頼性をうまく使い分けることが出来るように思う。それが意識的か無意識的かというのはいくらか個人差がある模様。 極端に意識しなければ使い分けることが出来ない人間というのは、おそらくそれだけで疲弊してしまい一時的には対処出来ても長続きするには相当な困難があると思われる。 -------------------------------------------------- [以下、多様性について] おそらく社会の構造として、 誕生→家庭→地域社会→小中学校→(高校→大学)→社会人→ と段階を踏む中で社会性とは何かを身に付け、社会人となる頃にはビジネスと対人関係の信頼性の使い分けがある程度自然に出来るようになるのだろう。 だがしかし実際問題として何らかの理由により社会性を身に付けられない人間というのは出てくる。 その理由の一つとして成長段階で身に付ける社会性というのが明確に規定できないためというのがある。 社会というのは決...

なぜ人は卒業式で泣くのだろうか?そこから人の持つ社会性を考えてみる

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よく卒業式で生徒が泣く光景がドラマや小説、マンガ、アニメなどで見られる。当然、現実の卒業式においてもである。 しかし自分は卒業式で泣いたことはなかった。むしろなんで泣くのか理由が分からなかったが、ふととある解釈が思いついたので書き記しておくことにする。 卒業式で泣く理由 一般論 まず卒業式で泣く理由として一般に言われているのを挙げてみる。 (1)みんな(クラスメイト)と別れるのが悲しい (2)先生と別れるのが悲しい(担任もしくは職員全体) (3)何年間も学んできた校舎と別れるのが悲しい (4)もうこの学校の生徒じゃなくなるんだと思うと悲しいとりあえずこれくらいある(細かい事情は除く)。 卒業式で泣かない理由 自分の場合 さてここで自分はそれらについてどう思っていたのか書いてみると (1)卒業すると言っても別に一生会えなくなるわけでもないので悲しくはない (2)同上 (3)校舎が無くなるわけでもなく、また無くなったとしても悲しくはない (4)よく分からない と、ここで結論としてもいいわけだが(これまではここまでしか考えなかった)、今回はもう一歩踏み込んで考えてみることにする。 これにより自分の心理と、世間一般で考えられている心理との解離の原因を探ろうという試みである。 まず(3)(4)に関しては(1)(2)とは違うと思われるので除外しておく。 『(1)みんな(クラスメイト)と別れるのが悲しい』について ここで自分の心理に注目してみる。まず自覚してるのだけれど自分には社会性があまりない。むしろ他人がどういう社会性を構築しているのかほとんど考えていなかった。ただ社会性がないと言っても友人がいなかったわけではない。どちらかというと人と付き合うときは個人として認識して、その人が持つバックグラウンド(人間関係など)についてはあまり考えてはいなかった。 ※何回かこれで痛い目を見たので今ではある程度分かるようになってはいるが… つまりは人間関係を利用した駆け引きなどアタマに入れないまま学校生活を過ごしていたことになる。それを念頭にして思い返すと小学生でも人間関係でいろんな駆け引きが行なわれていたことが分かる(理解がいまさら過ぎるが…)。 さてここで卒業式の話に立ち返ると、卒業することでそれまで築いてきた 人間関係がリセ...

会社の人間関係でうまくいかないあなたへ - 上手な上手な社会での生き方

このゆたりんブログでは初めての試みとして、人間関係の問題について考えてみます。 今回考えるケースはこちら 『職場でなぜか自分にだけ態度が冷たい相手がいる、仲間外れにされる』 [とある職場でのケース] 登場人物 ・会社員Y(主人公) ・先輩社員N ・上司 ある会社員Yさんがいます。Yさんはなるべく相手の意見を聞いて対話を試みて、たとえ上司にでも自分の意見を言っていました。同じ部署の職場に先輩社員Nがいました。Nは上司に気に入られていて、周りの社員ともよい雰囲気で付き合っています。しかしNはYさんに対してだけ、非常に冷たい事務処理的な態度しかしませんでした。しかしYさんは特にNの機嫌を損ねた覚えはありません。Yさんはできるだけ相手の気持ちを考えてそんなNにも友好的な態度で接しましたが、どうしてもNの態度は変わりませんでした。Yさんはなにがいけなかったか悩んでしまい精神的にも疲労してしまいました。 また次第にNと仲のよい社員からも同じような態度をとられるようになり、Yさんは職場から浮いた存在になってしまいました。仲間外れです。結局Yさんは職場での人間関係の悪化から仕事が手につかなくなってしまい、最終的には追い詰められて退職してしまいます。 なぜNはYさんにだけ素っ気ない態度を取ったのでしょうか?人間関係を良好に築ける人はすぐになにが問題か分かるでしょうが、ここでは分からない人向けに解説していきます。 [解説] 先輩社員Nの 行動原理 を考えると非常にわかりやすいです。 ・上司の言うことにはなんでも無条件で従う ・上司に反抗的な社員にはとことん冷たい態度(事務処理的)をとる ・上司に従う社員同士では表面上仲良く振る舞う(上司が認めた相手を排除するのは、上司を裏切る行為だから) ここまでくれば取るべき戦略は明らかです。 とにかく上司に取り行ってごきげんをとること。そうすればNは表面上はあなたを仲間と認めざるを得ない。 ※ただし、これは問題が進行してしまうと使えません。Yさんを排除する流れになってしまうと、いくら上司に取り入ろうとも、Nは上司に根拠のない告げ口するなどしてYさんの排除をしてきます。上司は始めから従っていたNの話を信用してしまいますから。 [解決方法] そのような相手の行動原理は「上司に従うこと」なので、い...

上野動物園に行ってきた

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病院帰り、まだお昼前だったのでちょっと足を伸ばして上野動物園に行ってきた。 ふむ、動物園というのは動物より人間の数の方が多いですな。有名な動物園ほど、この宿命からは逃れられないという…。 まぁ、それはいいとして、動物園に来たのは何年ぶりだろう?ここ1年近くは来てないなぁ…。なんだかんだいって、猿山の猿たちの権力争いをぼんやり眺めているのが、一番おもしろいような、やるせなくなるような…。 送信者 yutarine photos 送信者 yutarine photos 送信者 yutarine photos 送信者 yutarine photos 送信者 yutarine photos

二度あることは三度ありました

自分、人生で何回同じ失敗すれば気が済むんだろう…。 正直、もう疲れた

パソコンと人生

パソコンをシャットダウンするときに、ふと 「人生のシャットダウンボタンはどこだろう…」 と思ってしまうちょっと病みぎみの今日この頃。 まぁ、シャットダウンしても電源ボタンを押せば復帰しますからねぇ、パソコンなら。

幸せとは?

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ふと「幸せ」について考えてみました。 なんというか、とあるアニメと某ラノベの影響ですけどね…。 さて、幸せとは何なんでしょうか?幸せなことだけ集めていけば、幸せになれるのでしょうか? 「幸せ」は感覚的なものなので、「これ!」といった基準がないのでうまく表現できないですね。 とりあえず「幸せ」というものを数値化できるものとしましょう。ここではそれを「幸せレベル」と呼ぶことにしましょう。 送信者 ゆたりんブログ こんなグラフみたいに人生の曲がり角で増えたり減ったりすると思われます。 さて、せっかく手に入れた幸せですが、この幸せがなくなってしまったら不幸になるのでしょうか? いいえ、そんなことはありません。 幸せを失うということは、単に幸せを手に入れる前の幸せレベルに戻るだけです。 でも、実際の人生では幸せを失うことは不幸になると感じることが数多くあります。 例として、動物をペットとして飼うことを考えてみましょう。まずペットを飼いだした段階から幸せレベルが徐々に上昇し、ペットと仲がよくなるにつれてさらに上昇していきます。しかし、ペットが事故や病気などで突然死んでしまった場合はどうでしょうか?多くの人は深い悲しみ、喪失感を感じることでしょう。そしてその時に不幸になったと感じることになります。 ここで幸せレベルでこの事例を考えてみましょう。ペットが亡くなったときの幸せレベルは、ペットを飼う前の段階に戻ります。つまり、幸せレベルとしては、前の状態に戻るだけです。しかし、人間はペットが亡くなったその時には幸せレベルでは測れないほどの不幸を感じてしまいます。この幸せレベルと実感のズレは何によって引き起こされるのでしょうか? 送信者 ゆたりんブログ そのズレが生じる原因として、「幸せの慣れ」があるのだと思います。いくら幸せレベルが高くなっても、人間というものはその幸せの状態が続くと、それが当たり前のものだと感じてしまうというわけです。つまり幸せレベルが100だったとしても、その状態が続くと幸せレベルを0としか感じられなくなってしまうのです。 送信者 ゆたりんブログ この図で説明すると、ペットを飼っていて幸せレベルが100だった状態を当たり前の日常と感じてしまうことで、幸せレベルが0と感じてしまいます。その状態で突然ペットが亡くなってしまうと、これまで積み上げてきた幸せレベル100が失...

これはまずい…

自分で書いた2月のブログの記事を読み返してみたら… 1/31 リセットボタンはどこ? 2/9 ボクは誰ですか? 2/11 未来予知してみた…? 2/11 アニメなどで精神回復… 2/17 そういえば、チョコがもらえるイベントがあったらしいですね 2/27 心が疲れた… な、なんというマイナス思考…。なんというか、自分らしいといえば自分らしいですね。 点数を点けるなら75点くらいあげたいです。

未来予知してみた…?

たまの休日、朝起きてもな〜んか疲れている…。 頭がボ〜っとしてるな〜と寝ぼけていたら、なぜかもう一人の自分が見えてきた。 おや?もしかして、これは近未来の自分の姿が見えているのでは?などと非科学的なことを考えてみる。 さて、もう一人のよく見ると、 イスにグッタリと座って、手首から血が流れている自分 とか 浴槽に張った水に顔を沈めてグッタリしている自分 とか トイレの電球にロープがかけてあって、その下に落ちている自分 とか なんかシャレになってない光景になってました…。 これが、自分が無意識的に考えた近未来の自分なのかなぁ…。 う〜む、またちょっと思考が病んできた今日この頃…。

愛さえあれば!

そう、愛があれば越えられない壁などない! その壁がどんなに険しくとも!!! そうだ、愛さえあれば次元の壁だろうが越えられる! 二次元が彼女だっていいじゃない by ゆたりん あぁ、愛って素晴らすぃなぁ…。 冗談ですよ、JOUDAN. orz... この壁を越えられないのが、ボクの限界…。

夢をみた

子供の頃の夢をみた。 仲のよかった友達と遊ぶ夢。 どんなにあの頃に戻りたくても戻ることはできない。 目が覚めたとき、目から涙が流れたような気がした。 夢と現実は違う。 現実を生きるためには夢は捨てないといけない。 いつまでも夢にしがみついていても、一歩も前には進めない。 そう思っていたけど、本当にそうなのだろうか? 夢の世界に逃げ込んで、現実から逃げることはできる。でも、その夢の世界は残酷なまでに現実から乖離していく。再び現実に戻ることができなくなるくらいに。 では、現実を生きるためには夢は捨てないといけないのか?夢などなんの役にも立たないのか? そうではない、と信じている。もし、夢と現実が大きく異なるのなら、夢を現実にすればいい。そう、”いま”を自分の思い描く世界に近づけていけばいい。 夢を捨てることなんてない。自分の大切な心の一部を捨てるなんてことをしなくてもいい。 そう、夢を捨てるなんて選択肢を選んだら、”いま”を生きている価値がわからなくなるから。 いつまでも、夢を胸に抱いて生きていきたい。

結婚か…

え〜と、この度結婚することになりました 友達が。えぇ、ボクが結婚するわけではではありません(笑)。 それも、立て続けに2人が結婚…。え?ボクなんかが披露宴に呼ばれてもいいんですか?卒業してからそんなに連絡取ってたわけじゃないのに。ボクなんかでいいの?ホントにボクでいいの?(泣) なんかすごく泣けてきた…。ボクなんてすっかり忘れられた存在だと思ってたから…。 こうやって誰かに覚えてもらえてもらえるだけで、人生お腹いっぱいです。生きててよかった…。

生きている意味

生きている意味がわからない。 いったい自分はなんの目的があって生きているのか? 何をするために生まれてきたのか? 自分が生きていることに価値はあるのか? こんなことを考えている自分の意識は、死ぬことで消滅するのか? もし、自分が生まれてこなければ、自分の意識というものは存在しなかったのか? それとも、他の誰かの意識として存在することになったのか? どうせ死んで意識が消滅するなら、いつまでも生きていても意味がないのではないか? ってなことを、一日中考えていた中学生の頃の自分。さて、今になってこの疑問が解けたかというと…。 さっぱり解けやしない。「生きるとは」どういうことなのか?どんな意味があるのか?それとも、意味など存在しないのか?う〜ん、わからない、わからない、わからない…。

疲労が…

今週は疲れた…、精神的に orz...。 体がダルい〜 思考が鈍くて、頭が重い〜 こんなときはブドウ糖(脳のエネルギー源)でも摂取すればいいのかなぁ? でも、マイナス思考のときに脳にエネルギーを与えると、余計マイナス側に突っ走ることになるのかなぁ? あぁぁぁ、よく分からないけど今日は一日、超低テンションで過ごすかなぁ…。 今後の課題 ・ 精神的に煮詰まったときの対処法を検討すること ・脳への吸収が早いブドウ糖源を仕入れること ・仕事に完璧を求めないこと ・人生に理想を詰め込みすぎないこと ・でも、前に進むことを諦めないこと

あの頃思い描いていた自分、今の自分

さて、いまの自分は昔思い描いていた自分に少しでも近づけていますか? 正義の味方になって、悪い奴を懲らしめたい マラソンでオリンピックに出たい 大発明をしてノーベル賞をもらいたい 英語をマスターして海外で働きたい 住むならやっぱり一軒家(執事のセバスチャン付き) 人気者になってゆくゆくは大統領 やっぱり夢は世界制服 老後は田舎で農作業 若干おかしな願望が混じってますけど、それでもみんな子供の頃に思い描いていた将来の自分があったはずです。いま、鏡で自分の姿を見ると、そんな理想の自分になっていますか? ボクは…、どこでどう間違えたのか、いろんなモノが混じってしまった自分になっています。 漠然として叶えられなかった大きすぎる夢、自分を縛る現実、そして妥協…。そんなモノがこねくり合わさってしまいました…。 将来こうなりたい!でも、ちょっとは遊びたいなぁ♪明日から持ち直せばいいや♪明日から♪明日から…、明日から……、明日から….……。 と、ずるずると先延ばし。なるほど、そうやって生きてくると今の自分になるんですね。いい勉強になりまし…たー!って気づくのが遅いわ! というわけで、これからは具体的に綿密に繊細に将来の、10年後の、5年後の、1年後の、そして明日の自分を思い描いて生きていこう、なんて思ってみた今日この頃です。

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