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gnuplotで一つのファイルにデータとプロットコマンドを含める方法(datablocks)

gnuplotで一つのファイルにデータとコマンド文を含める gnuplotでデータファイルをプロットする場合、通常はデータファイルはデータファイルとして別個のファイルとして扱います。そしてそのデータファイルに対してコマンド処理をしてプロットします。 またgnuplotではその型式だけでなく、データファイルとコマンド処理を一つのファイルにまとめてプロットするという使い方も出来ます。方法自体は2つあって 一つは「inline data」 もう一つは「datablocks」 となっています。 (ネット上の情報ではdatablocksという語がデータのまとまりと扱われているケースもあるようですが、gnuplotのドキュメントでは今回扱う意味になっています) datablocksとinline data ファイル内のデータはdatablocksの方が扱いやすくなっています。それと大きな違いとしてはコマンド文がinline dataの場合はデータ部分の前、datablocksではデータ部分の後に来ます。 今回はこのうち、datablocksについて解説していきます。 簡単な例 datablocksでデータとコマンド文を書く場合、簡単には以下のような書き方になります。 $data01 << EOD 1 3 2 5 3 1 4 10 5 3 7 1 9 10 11 8 15 3 EOD plot $data01 w lp これを"test01.gp"というファイルに書いて保存。プロットするときは $ gnuplot -p test01.gp とします。 解説すると"$data01"という変数にデータを格納して、コマンド文でその変数を扱うという型式になります。データが書かれた範囲は"EOD"で挟まれた部分となります(EODという語でなくともいいようですがアルファベットで始める必要があるかと)。 複数のデータ部分 データ部分は1つで無くとも以下のように複数記述して扱うということも出来ます。当然ですがデータを含める変数は別個のものを使います。 $data01 << EOD 1 3 2 5 3 1 4 10 5 3 7 1 9

[雑談] 冬場の乾燥肌にはこまめな素肌ケアが大切というのを実感

毎年、冬になると手荒れがひどく、あかぎれで血がにじんだり痛みが出たりと憂鬱になることが多かったです。一応、ハンドクリームは付けるようにしてたんですが、気休め程度くらいの効果しかなく…。結局、冬中盤になると手荒れがひどくなるといったことの繰り返し。 ただ、今冬は手を洗ったり水仕事をした後にすぐハンドクリームを付けるようにしてました。そしたら若干手肌の一部が赤くなったくらいで、ほとんど手荒れはせず。 なるほど、手荒れを防ぐにはこまめな素肌ケアが大切なんだなぁというのを実感。 あと、あれですね。手荒れがひどくなってからじゃなくて、荒れる前からケアし続けるのが必要ですね。 しかし、作業上ハンドクリームを付けられないは場合はこまめなケアは厳しいかなぁと思います。飲食関係などの仕事の人は素肌ケアってどうやってるんですかね?寿司職人の人だとハンドクリームなんて付けたら寿司なんて握れないでしょうし。 まぁ、細かい作業で無ければ、素肌で作業せずゴム手袋やビニール手袋をすればいいとは思いますが。

gnuplotで一つのデータファイルにある複数のデータ系列をプロットする方法(index)

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データファイルと言えば基本的には一つのファイルに一つのデータ系列が入っています。 列が複数、3つ以上の場合はusingでいくつかの列を別個に扱うということもしますが、今回はそれとは違う話。 複数のデータ系列が含まれるデータファイル 今回扱うのは一つのデータファイルに以下のようなデータが入っている場合についてです。 1 3 2 1 3 5 4 2 3 7 4 3 5 2 1 9 3 6 5 5 一つのファイルに3つのデータ系列がそれぞれ一つの空行を挟んで分かれているといった形になっています。 このようなデータファイルを作ること自体あまり無いかも知れないですが、例えばいくつもファイルを作っておきたくない場合や、データファイルをテキストエディタで開きっぱなしにして常にそこにデータを書き込んでいく場合などではこういう扱いも便利といえば便利です。 実際にこのデータファイルをプロットしてみると以下のグラフになります。 データファイルに書き込んである3つのデータ系列が別々のラインとしてプロットされます。 個々のデータ系列を別個のものとして扱うには? さて、これはこれでデータを比較したりするには便利なのですが、データ系列が多くなった場合、プロットされるラインが全部同じ色や線だと分かり難くなってきます。 ここではプロットするコマンド自体は以下のようになっています。 gnuplot> plot 'gptest01.dat'  with linespoints lw 2 では各データ系列において別々の線種を使いたい場合はどのようにすればいいのでしょう? それにはgnuplotに対して個々のデータ系列を、それぞれ別個のものとして識別させる必要があります。簡単にはデータ系列ごとに別々のファイルに分離してプロットしてやるのが手っ取り早いのですが、gnuplotではそうしなくとも一つのファイルだけでも別個のものとして認識させることが出来ます。 "index"オプション 認識させるには "index" というオプションを用います。 このオプションの使い方としては、ファイル名指定の後にindex、そして何個目のデータ系列をプロットするかを指定します。なお番号は0か

[雑談] インターネットもまた一つのメディアと化していく

特にここ数年のネットの変わり様が大きい感。 スマホの普及が加速した時期と被るかなと。 ネットのマーケティングツールとしての利用が大きくなって来たことと関連していると思われる。  どう変わったかと言えば、これまでマスメディアが批判されてきた論調そのままのコメント、意見が増えてきた感。  これは何をどうすればいいのかとかそういう話ではなく、お金が絡むようなものは大抵こういう形式に至るものだとして付き合っていくしかないのかなと。  ただ厄介なのがコメント自体が個人の意見なのか、それともそういう形式のものなのかという判別が困難のこと。 まぁこれについてはそのコメントを発している人物に対する信用度で測っていくしかないのかも知れない。そしてその信用度自体、自分自身で基準を設けて見ていくしかないのかなと。そこを他人に頼るようだと、そういった信用度自体もツールと化して本来の役には立たなくなってしまう。結局、お金が絡むとそういった形式に組み込まれることになる。  これまでメディアリテラシーと言えばテレビや新聞、雑誌などマスメディアを扱うことが多かったけれど、これからはネット上の個人のコメント、意見に対してもそういった視点が必要になっていくのかも知れない。というか、すでにそうなっている感もかなりするけれど。  世の中、実験的に様々なことに対してスコアを付けて運用しようという流れにもなってきているので、今後の社会をうまく乗り切っていくのはいろいろ気を使ったりしてめんどくさいことになっていくのだろう。まぁそういった波に流されるままに流れていくのが楽なのかも知れない。それはいまに始まったことでもなくいつの時代でもだいたいそんなもの(だっただろう)。  そして流れに乗れずにめんどくさい方にしか生きられない人はツラいというのもまた、いつの時代でも繰り返されてきたことなんだろう。あー、めんどいめんどい。

Firefox66のLinux版でタイトルバーの省略表示がデフォルトになったということで比較

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ちょっと前(3月19日頃)にリリースされたFirefox 66。このLinux版ではタイトルバーを省略して表示するのがデフォルトになったそうな。 たぶん設定自体は以前から出来たと思うけれど、それがデフォルトでそういう設定になったものかと。アップデートされる前から使っている場合は以前の設定を引き継いでると思うので、その場合はアップデートしても以前のままかも。 タイトルバーを省略するってのはGNOME関係のソフトでよくありますね。テキストエディタのgeditとか。 で、実際にFirefoxでタイトルバーを省略してみるとどうなるかというのを見てみることにします。 まずこれは省略しない場合。 省略するよう設定を変えてみるとこんな感じ ちょっと分かり難いんですが、タブバーとウィンドウ操作ボタン(閉じるボタンとか)が一緒になってます。 それとタブバーの上にマウスドラッグに使えるエリアを足すという設定も出来ます。 タイトルバーを省略するとWebページの縦部分の表示領域をちょっと増えるので、これはこれで便利かなと思います。ただタブバー部分が狭くなってしまう点をどう見るかですかね。 なお、タイトルバー省略の設定自体はFirefoxのウィンドウカスタマイズから行うことが出来ます。

[雑談] ニュースで出てくる「Brexit」って用語はどういう意味なのか?

BBCのサイトでニュースをちらほら眺めていたら 「Brexit」 という用語が出てました。見慣れない語だったので電子辞書で調べてみたのだけど、ヒットしない。こうなるとたぶん新しい用語だろうということで、ネットで検索してみることに。 で、検索してみた結果としては 「イギリスのEUからの脱退」 という意味で 「British」と「exit」を合わせた語の模様。 (参考 : Brexit - Wikipedia ) Br+exitで Brexit ってな感じですかね。 日本だとイギリスと呼ぶのが一般的なので、Britishではイメージしずらい感が。 まぁとりあえず一つ勉強になりました。

[雑談] 自分のことを否定する言葉

あなたの好物がチョコレートをだとしよう。 あるとき他の人から 「チョコレートなんか好きなのか。だからお前はダメなんだ」 と言われたとする。 そのときあなたはその言葉をどう捉えるだろうか? 簡単に以下の2パターンを考えてみる。 「もしかしたら自分はダメなのかも知れない。チョコレートはやめよう」 「ダメなんかじゃない。そんなことを言われようとも、好きなものは好き」 その言葉から、それを受け止める場合とそれに対して反発する場合。 自己を否定される。その言葉を受けたときに人は一体どのように考えるのか。 否定されたことをそのまま受け止めてしまうか、 それとも 否定されたことに反発して自己の属性に対する認識を強固にするか。  簡単には「否定の言葉」は、自分のことに対する認識を揺らぎを与えて、それにより自分が自分のことをどう認識しているのかを考えることを誘発すると思われる。 否定の言葉を例にしたが、肯定する言葉、まったく関係ない言葉など、どれでも多かれ少なかれ同様の要素があるものであろう。  しかし、そもそも例に上げた否定の言葉自体の論理性がヒドい。 「チョコレートが好き」というのと「だからダメ」というのはそのままではイコールで結ぶことは出来ない。それをイコールで結ぶには、「なぜチョコレートが好きだとダメなのか?」が提示されそれが論理性のある説明で無ければならない。  なので、  「この人の言ってることはまったくおかしな話だ。相手にしないでおこう」 というようにもなる。先程「否定の言葉」で認識が揺らぐと書いたが、別に揺らぐ必要というもの無い。  そもそも他人の言葉で自己が揺らぐということ自体、自分自身の中で「自分」というものがあやふやな存在であるとも言えよう。仮に自分というのが強固な存在だったとしても、それは思い込みでしかない場合もあり、強固であるがゆえに脆いものでもあったりする。自分の中の自分の存在が弱いと、人の言葉を鵜呑みにして他人に左右されやすいということもあるだろう。  さて、そうなると人が考える「自分」とは一体なんなのだろうか?と疑問にもなるし、おそらくそれには答えもない。他人の言葉で揺らぎ、自分自身で考えることでも揺らぎ、強固であれば壊れやすく、弱すぎてもまた自分を持てていない。  たぶん人は生涯を通して「

gnuplotでログスケールの対数グラフを描く方法(set logscale)

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gnuplotでグラフの軸をログスケールにして対数グラフを描きたい場合、以下のような書式で設定します。 set logscale y 2 これはy軸をログスケール、底を2で指定する仕方。 y軸以外にx軸やその他の軸も指定可能です。また底の値も任意で指定することができます。 そして set logscale xy 10 のように複数の軸をまとめて指定して両対数グラフにすることも出来ます。 自然法則は指数関数的な挙動を示すものが結構あって、測定したデータを対数グラフでプロットしてみるとそれが分かりやすくなったりします。 例として以下の指数関数2つと比較として一次関数1つをプロットしてみます。 y = 2**x y = 2**(3*x+2) y = x 初めにそのままプロットした場合。 gnuplot> plot [][0:100] x, 2**x, 2**(3*x+2) これをログスケールに設定してプロットすると以下のグラフとなります。 (分かりやすくするため、上のグラフとはy軸の範囲は変えてあります) gnuplot> set logscale y 2 gnuplot> plot x, 2**x, 2**(3*x+2)     その他gnuplot関連のブログ記事

[雑談] "モノ"を見るか、それとも"現象"を見るか

足元に"石"が落ちている。 水道から"水"が出ている。 空から"雪"が降っている。 これらの文はいずれも"モノ"について語っている。 では次。 水に浮かんだ葉っぱが波によって"揺られて"いる。 蹴飛ばした石が坂道をコロコロと"転がって"いく。 放り投げた野球ボールが放物線を描いて"飛んで"いく。 こちらはモノから派生する"現象"について語っている。 (モノについても語っているじゃないか、というツッコミはおいておくとして) とかく科学というとモノについて扱うことと思われるが、モノが何らかの法則に基づいて動く現象もまた科学で扱う領分。 地球が宇宙の中心ではなく、太陽の周りを回っているのが分かったのも、数多くの星々の位置を長い時間かけて観測して軌道を割り出した結果。そして軌道というのは星が動くという現象に他ならない。 というわけで、身の回りのモノを見る時に、そこにどんな現象があり、そしてどのような法則性があるのかを考えてみるのもまたおもしろいでしょう。

gnuplotでテキストファイルに書かれた設定コマンドを読み込む方法(load)

gnuplotのインタラクティブモードにおいて、 「loadコマンド」   を使うことでテキストファイルに書かれた設定コマンドを読み込むことが出来ます。 話自体はこれといって難しいものではなく、コマンドラインから直接gnuplotのスクリプトファイルを実行するのを、インタラクティブモードでも行うのと同じようなものです。 使い道としては、例えば日付データが入ったデータをプロットする時の設定をテキストファイルに書いておいて、それをプロット前に読み込んで使うというやり方があります。 以前書いた以下のブログ記事で日時データのプロットについて説明しましたが、 gnuplotでの日時データのプロットについて 以下の部分をテキストファイルに保存しておいて、この設定でプロットしたいときにloadコマンドでそのテキストファイルを読み出すという使い方が出来るでしょう。 set xdata time set timefmt "%m/%d %H:%M" set format x "%H:%M" 設定をgnuplot-settings-date01.txtというファイルに保存してあるものとすると、読み出す時のコマンドは以下のようになります。 gnuplot> load "gnuplot-settings-date01.txt" こうすることで設定をloadコマンドによる読み込み1行のみで済ませることが出来ます。お手軽ですね。 この例では設定コマンドのみを書いていますが、プロットコマンドも一緒に書いておくという使い方も出来ます。その場合はほぼコマンドラインからのスクリプトファイルの実行と同じことになりますね。 プロットの度に毎回何行も設定コマンドを入力するのは手間がかかりますが、よく使う設定をテキストファイルに書いて一か所のフォルダにまとめておけば使い勝手も良くなり手間を減らしていくことが出来るでしょう。 その他、gnuplot関連のブログ記事 Amazon データ解析関連書籍など

[雑談] 結果論と事後予言についての雑感

予言とは過去や現在のことを元に、これから起こるであろうことを束ねて未来を予測するもの。予言する者により不確かさは大きくことなり、予言が当たる場合、当たらない場合など様々でもある。 これに対し、事後予言とは結果が起きてから予言を立てるものであり、そこには予言を根拠付ける様々な事柄で補強される。結果が分かっているのだから予言ではなく単なる事実の指摘でしか無い。また結果が分かっているのだから、その原因である根拠を集めるのも容易。 そしてこれに近いことが結果論においては行われる。結果を見てからあれが原因、これが原因という類のもの。後出しじゃんけんとも言われる。 例えば結果論に基づく発言は以下のようになる 不意に雨に降られてずぶ濡れになったとき、 「雨が降ったのだから傘を持って出かけるのは当たり前。傘を持っていないお前が悪い」 宝くじを買ったのに残念賞しか当たらなかったとき、 「宝くじなんて当たるわけがないのは当たり前。欲を出したお前が悪い」 結果を見てからそうなったのは当然という論調。そしてその結果から原因が導き出される。 上の2つの例はあえて意地が悪い回答にしているが、得てして原因として人の責任にされやすい。これは現在では自己責任論が幅を効かせているというのも踏まえているが、結果論と自己責任論が結び付きやすいのかどうかはここでは論じない。 結果論は絶対の判断を示すなどということはい。その他の解釈としては 雨に降られてずぶ濡れになったケースでは、 天気予報を見たかどうか 見た場合、降水確率から傘が必要かどうかの判断は適切だったか 天気予報も外れるときもあるし、運が悪ければずぶ濡れになることもある など。結果論以外の視点による判断も多様にあり得る。結果論かそれ以外の論であろうとも"それしかない"と思い込むのは思考停止につながりやすい。 結果論、事後予言では、大概にして過去の時点の判断が適切だったかどうかが無視される。これは結果を見てからその原因だけを判定しているからであり、結果から外れた要素は無視されるためである。 現代社会では物事は複雑化し多層化しているため、原因と結果が分かりやすいことばかりではない。悪意などなく善意による行動でも失敗することはあるし、成功しても別の視点で見ればそれは失敗ということも

[雑談] XX年後の未来から異世界転生ものが多い現代社会の死生観を分析するとどういう結果になるのだろう

いまではかなりの数の異世界転生物語のコンテンツ(小説、アニメなどなど)が増えている。もしかしたら遠い未来の人達がこれらの作品を分析したら、西暦2000年の初頭には人は死んだら異世界に生けるものと信じていたという思想が流行していたと解釈するかも知れないし、単なるサブカルチャー界隈での流行だったとされるだけかも知れない。 それでも人の想像に死後の世界が描かれるというのは、現代人の何らかの死生観が反映されているとも見れるわけで、もしかしたら単なる流行以上の発見がなされるのかも知れない。 まぁ現代医学やテクノロジーから判断するに、遠い未来においては人は死すら克服しているのかも知れないわけで、そうなるともはや死生観など理解されなくなっているということもあり得はする。遠い過去の人類が抱いていた何かしらの信仰の一種という扱いになっていくのだろうか。

[レシピ] 甘夏のピール

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甘夏の皮が余ったので、そのまま無駄にするのももったいないので砂糖を加えて煮てピールにすることにした。 ネットでレシピを検索するといろいろ方法が出てくるが、いくつかのレシピを参考にして今回のレシピを決めることにした。ピールのレシピ自体、甘夏以外にオレンジやはっさく、夏みかんなどいろいろとあるが、基本的には似たような感じ。  使う材料はシンプルに柑橘類の皮と砂糖と水。グラニュー糖もあればいいかも。 甘夏のピールのレシピ(&調理メモ) 皮を洗う まず皮を洗う。ここで無農薬栽培のモノを使うのが農薬の心配をしなくても済む模様。 どっちにしろ、とりあえずタワシでゴシゴシ外側の方を洗っておく。 それでも心配なら外側を薄く削るのも良いらしい。 水に浸けておく 皮の白いワタの部分は苦味が強い。 ワタはナイフで落としてもいいのだが、皮を水に浸けておくとスプーンで削り落としやすくなる。なので1晩ほど水に浸けて放置。 (後の工程で下茹でするが、ワタを取るにはそれだけでもやりやすくなるとは思う) 下茹で 苦味を抜き皮を柔らかくするためお湯で茹でる。上で農薬について書いたが、茹でることである程度それも除去されると思われると期待。 レシピによって下茹でする時間はまちまちだが、だいたい20〜30分くらい。 今回は10分茹でてお湯をすて、新しいお湯で再び15分茹でることとした。 白いワタを削る 茹でた後、冷ましてから皮の白いワタの部分をスプーンなどで削り落とす。多少ワタが残っていてもそれほど苦味が出るというものでもないようなので、皮が千切れない程度に適当で済ませる。 ここで皮を細く切っておく(好みのサイズ)。5〜8mmくらいがいいかなと。 この段階で皮の重さを測っておく。その重さを元にして加える砂糖の量を決定する。 砂糖の量は目安としては皮の重さの6割〜同量程度。保存性を重視するなら砂糖多めの方がよさそう。糖分控えめにしたいとか苦味があった方がいい場合は少なめで。 今回は皮が273g。砂糖は7割程度ということにしたので約190g加えることとした。 砂糖を加えて煮る 鍋に切った皮を入れ、ひたひたになるくらい水を入れて分量の砂糖も加える。火加減は弱火から中火。水分があらかた飛ぶまで煮詰めていく。ただ、

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