幸せとは?
ふと「幸せ」について考えてみました。
なんというか、とあるアニメと某ラノベの影響ですけどね…。
さて、幸せとは何なんでしょうか?幸せなことだけ集めていけば、幸せになれるのでしょうか?
「幸せ」は感覚的なものなので、「これ!」といった基準がないのでうまく表現できないですね。
とりあえず「幸せ」というものを数値化できるものとしましょう。ここではそれを「幸せレベル」と呼ぶことにしましょう。
こんなグラフみたいに人生の曲がり角で増えたり減ったりすると思われます。
さて、せっかく手に入れた幸せですが、この幸せがなくなってしまったら不幸になるのでしょうか?
いいえ、そんなことはありません。
幸せを失うということは、単に幸せを手に入れる前の幸せレベルに戻るだけです。
でも、実際の人生では幸せを失うことは不幸になると感じることが数多くあります。
例として、動物をペットとして飼うことを考えてみましょう。まずペットを飼いだした段階から幸せレベルが徐々に上昇し、ペットと仲がよくなるにつれてさらに上昇していきます。しかし、ペットが事故や病気などで突然死んでしまった場合はどうでしょうか?多くの人は深い悲しみ、喪失感を感じることでしょう。そしてその時に不幸になったと感じることになります。
ここで幸せレベルでこの事例を考えてみましょう。ペットが亡くなったときの幸せレベルは、ペットを飼う前の段階に戻ります。つまり、幸せレベルとしては、前の状態に戻るだけです。しかし、人間はペットが亡くなったその時には幸せレベルでは測れないほどの不幸を感じてしまいます。この幸せレベルと実感のズレは何によって引き起こされるのでしょうか?
そのズレが生じる原因として、「幸せの慣れ」があるのだと思います。いくら幸せレベルが高くなっても、人間というものはその幸せの状態が続くと、それが当たり前のものだと感じてしまうというわけです。つまり幸せレベルが100だったとしても、その状態が続くと幸せレベルを0としか感じられなくなってしまうのです。
この図で説明すると、ペットを飼っていて幸せレベルが100だった状態を当たり前の日常と感じてしまうことで、幸せレベルが0と感じてしまいます。その状態で突然ペットが亡くなってしまうと、これまで積み上げてきた幸せレベル100が失われることになるので、実感としての幸せレベルは「-100」となってしまいます。
-100と感じてしまう結果になるので、ペットを飼う前の段階の幸せレベル0よりも幸せレベルが低く感じられてしまう結果、不幸になったと感じられてしまうことになるわけです。
いろいろ端折って結論だけ書きますと、
・人間は幸せレベルを絶対的な基準で把握することはできない
・あくまでも、相対的な基準でしか幸せを評価できない
ということになります。
もっと詳しくみていくと、人間一人一人の幸せレベルというものは出会った人々の幸せレベルと照らし合わされて相対化されていく、ということになると思われますがその話はまた今度。
とまぁ、ふと幸せについて考えてみたんですけど、どうだったでしょうか?詳しく調べたわけではないのですが、もしかしたらこういった考えはもう誰か他の人が考えているかも知れません。そんな簡単に幸せを語るな、とか思われたかも知れませんが、とりあえず今のボクが考える幸せとはこんな感じなわけです。
<追記> 2009.03.03
今回のブログを書いていて、どっかで見たようなアイデアだなぁ?と思って、最近読んでいた本を読み返してたら
「電波的な彼女 〜幸福ゲーム〜」 片山憲太郎
が見つかりました。改めて今回のブログのネタを読み返してみると、結構この本が参考になってましたね。
なんというか、とあるアニメと某ラノベの影響ですけどね…。
さて、幸せとは何なんでしょうか?幸せなことだけ集めていけば、幸せになれるのでしょうか?
「幸せ」は感覚的なものなので、「これ!」といった基準がないのでうまく表現できないですね。
とりあえず「幸せ」というものを数値化できるものとしましょう。ここではそれを「幸せレベル」と呼ぶことにしましょう。
送信者 ゆたりんブログ |
こんなグラフみたいに人生の曲がり角で増えたり減ったりすると思われます。
さて、せっかく手に入れた幸せですが、この幸せがなくなってしまったら不幸になるのでしょうか?
いいえ、そんなことはありません。
幸せを失うということは、単に幸せを手に入れる前の幸せレベルに戻るだけです。
でも、実際の人生では幸せを失うことは不幸になると感じることが数多くあります。
例として、動物をペットとして飼うことを考えてみましょう。まずペットを飼いだした段階から幸せレベルが徐々に上昇し、ペットと仲がよくなるにつれてさらに上昇していきます。しかし、ペットが事故や病気などで突然死んでしまった場合はどうでしょうか?多くの人は深い悲しみ、喪失感を感じることでしょう。そしてその時に不幸になったと感じることになります。
ここで幸せレベルでこの事例を考えてみましょう。ペットが亡くなったときの幸せレベルは、ペットを飼う前の段階に戻ります。つまり、幸せレベルとしては、前の状態に戻るだけです。しかし、人間はペットが亡くなったその時には幸せレベルでは測れないほどの不幸を感じてしまいます。この幸せレベルと実感のズレは何によって引き起こされるのでしょうか?
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そのズレが生じる原因として、「幸せの慣れ」があるのだと思います。いくら幸せレベルが高くなっても、人間というものはその幸せの状態が続くと、それが当たり前のものだと感じてしまうというわけです。つまり幸せレベルが100だったとしても、その状態が続くと幸せレベルを0としか感じられなくなってしまうのです。
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この図で説明すると、ペットを飼っていて幸せレベルが100だった状態を当たり前の日常と感じてしまうことで、幸せレベルが0と感じてしまいます。その状態で突然ペットが亡くなってしまうと、これまで積み上げてきた幸せレベル100が失われることになるので、実感としての幸せレベルは「-100」となってしまいます。
-100と感じてしまう結果になるので、ペットを飼う前の段階の幸せレベル0よりも幸せレベルが低く感じられてしまう結果、不幸になったと感じられてしまうことになるわけです。
いろいろ端折って結論だけ書きますと、
・人間は幸せレベルを絶対的な基準で把握することはできない
・あくまでも、相対的な基準でしか幸せを評価できない
ということになります。
もっと詳しくみていくと、人間一人一人の幸せレベルというものは出会った人々の幸せレベルと照らし合わされて相対化されていく、ということになると思われますがその話はまた今度。
とまぁ、ふと幸せについて考えてみたんですけど、どうだったでしょうか?詳しく調べたわけではないのですが、もしかしたらこういった考えはもう誰か他の人が考えているかも知れません。そんな簡単に幸せを語るな、とか思われたかも知れませんが、とりあえず今のボクが考える幸せとはこんな感じなわけです。
<追記> 2009.03.03
今回のブログを書いていて、どっかで見たようなアイデアだなぁ?と思って、最近読んでいた本を読み返してたら
「電波的な彼女 〜幸福ゲーム〜」 片山憲太郎
が見つかりました。改めて今回のブログのネタを読み返してみると、結構この本が参考になってましたね。
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