1+1=?

今日は人間の計算思考回路について考えてみた。
なんのことかというと、
1 + 1 = ?
という数式があったとする。答えは当然「2」である。このとき、人間の脳内には2という答えが認識される。これではあまりに簡単過ぎるので例にならない。さて、
4 + 7 = ?
ではどうか?答えは「11」。このとき、頭の中に「11」という数字が思い浮かぶと思う。では、
りんごが4個とりんごが7個では、合計のりんごの数はいくつ?
という問題があったとしよう。答えは同じく「11」個であるが、このとき頭に中に浮かぶのは「11」という数字か、それとも「11」個のりんごが脳内に映し出されるのか?

別に他の人の計算における思考がわかるワケがないので、自分の場合について考えてみる。
上の問題では、「11」個のりんごは思い浮かばない。単に「11」という数字が出てくる。

さらに掛け算について考えてみる。小学生の頃に九九を覚えた経験があると思う。九九では
掛ける数値 × 掛けられる数値 = 答え
というように、掛ける数値と掛けられる数値についてそれに対応する答えをひたすら覚える作業を行い記憶への定着を行った。九九というわけで、合計81通りの掛け算について掛ける数値、掛けられると答えとの対応表が頭の中に入っている。このような覚え方をしているので、通常掛け算をするときは、答えとしては「数値」が頭に浮かんでくる。このとき、この「数値」の分だけの「何か」(例えばりんご)が思い浮かぶことはまずない。


なぜ、人間が計算する時にはりんごのような「モノ」ではなく、「数値」が思い浮かぶのであろうか?

では「モノ」を思い浮かべるとしたら、どのような思考となるか。先の問題のように答えが「11」個のりんごであるとする。ここで瞬時に答えの数だけのりんごが思い浮かんだとしよう。では、思い浮かんだりんごがいくつあるのか?それを数えるためには、りんごを思い浮かべた状態でいったん記憶を保持して、さらに頭の中のりんごを数えていく必要がある。数個程度なら思い浮かんだ瞬間にいくつあるかわかるだろうが、数十個、数百個といった数になるともはや数えることなど不可能に近くなってしまう。さらに、頭に浮かんだりんごを何人かで分けるなどの計算をしようとするなら、それこそ一回数値に変換しなければならないであろう。

と、このように計算における思考方法としては、「モノ」の数を「数値」に変換してから行うというのが効率的であるのであろう。果たして、人間はいつからこうやって「数値」に変換して計算できるようになったのか?についても興味があるが、それはまたの機会に考えることにする。

このように数値に置き換えることで、例えば
コミケの入場者数が3日間で30万人!
とかいった場合に、一日当たりの入場者数を計算する場合にいちいち30万人分の人間を頭に思い浮かべていたら、記憶容量がいくつあっても足りないであろう。「30万人」、文字で表せばたった4文字で表すことが可能である。と、このように、数値化により極めて大きな数でも容易に計算できるようになるわけである。



今日のブログは自分で書いてて、ワケがわからなくなってきた…。書いていて、どんどん矛盾点が出てくるし…。読み返してみると、ほんと矛盾だらけの文章だ…。
orz...

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