[雑談] 「間違っていると言うのなら間違っていることを証明しろ」という問いについて
ここ数年でそこそこ見かけるようになった以下のような部類の文言。
「間違っていると言うのなら間違っていることを証明しろ」
言葉としてはこれとは異なるけれど、よく分解してみると同質の問いも多い。
仮定の話として、この文言を使って会話を構築してみることにする。
登場人物として仮にAさん、Bさん、Cさんの3人で考える。
(「問い」なので問う方と問われる方の2人でもいいが)
設定として
ここで3人の中で議論として上がっている課題として以下を設定する。
3人は共同で池を管理してそこで鯉を飼っている。
しかし、ある日突然その池の鯉がすべて死んでしまっていた。
そして3人の間で以下のような責任問題が問われることになった。
「池の中の鯉が死んだのはなぜか」
Aさんの主張
「昨日、Bさんが持ってきた鯉の餌に毒が入っていたんじゃないか?」
Bさんの反論
「そんなことはない。行商から買った鯉の餌だ。毒なんて入っているわけが無い」
Aさん
「そんなどこから来たかも知らない行商が売りつけてきた餌なんて信用出来るわけが無い」
Bさん
「それはそうだが、そんなことをするような人には見えなかった」
Aさん
「もういい。信用出来るかどうかは関係ない。その餌に毒が入っているか調べてこい」
Bさん
「いや、もう餌は全部やってしまっていて残っていない。確かめようがない」
Aさん
「結局分からないんじゃないか。もう毒が入ってたってことで決まりだ!」
Bさん
「なんでそうなる。確かめようがないならそんなこと言えるはずはないだろ」
Aさん
「そんなに言うなら毒が入ってなかったことを証明してみろ!」
Bさん
「証明っていうなら、そっちが毒が入ってることを証明する必要があるだろ」
Aさん
「うるさい!毒が入ってないことを証明出来ないのなら、やっぱり入っていたに違いない!」
Bさん
「そこまで言うならこっちも言ってやる。絶対に毒なんて入ってなかった!絶対に!」
こうして毒が入っていたはずと主張し続けるAさんと、入っていなかったと言うBさんとで言い争いが続く。
そこにCさんが割って入ってきて
「自分もあの行商と合ったけど、なんか怪しかったな。そいつからめずらしい酒だからと高いヤツを買ったけど飲んでみたら水みたいなもんで旨くもなんともなかった」
Aさん
「ほらみろ。そんなおかしなモノを売りつけるヤツなんだから、餌にだって毒が入ってるのも当然だ!」
結局、話としては餌に毒が入っていたかどうかは分からず、おまけに鯉が全滅した原因も餌のせいとも分からないままだったが、Aさんの主張をCさんが補強することでそのまま押し切られてしまった。
ここでのやり取りの問題としては、
餌に毒が入っていたかどうかを確認する術が無いのに、それを売ってきた行商が信頼できるかどうかで入っていた決めつけてしまっていることである。
Aさんは毒が入っていたに違いないと思い込んだままやり取りを続けている。始めは慎重だったBさんも売り言葉に買い言葉で入っていなかったとしてしてしまった。後はCさんの意見が決め手となり話が終わる。
何らかの原因があって物事は起きる。しかしその原因が確かめようがない場合どうすればよいか?特に損害が発生して責任問題が生じている場合は、往々にして責任が誰にあるかに話がシフトしがちである。かといって損害が発生している以上、原因が分からないからと有耶無耶にすることも出来ない。
このような場合は、場にいる人が思い込みに陥らないよう冷静に一つづつ何が問題でどう解決すればいいかを話し合っていくほかないであろう。
「間違っていると言うのなら間違っていることを証明しろ」という問いは、間違っていると指摘した方が証明するのではなく、「そうに違いない」と言っている方が根拠をもって証明すべきである。しかし間違っていると断言してしまうと当然、間違っていると判断した根拠を問われることにもなる。ここが話がおかしくなりやすいポイントだが、間違っているとした根拠を示せなかった場合、「そうに違いない」という方が根拠もないのに正しいものとして扱われやすいことがある。
正しいか間違っているかが分からない、確かめようがない状態のものについて、強引に白黒ハッキリさせようとしてしまうとこんな状況に陥ってしまいやすいのだろう。避けるためには、確かめようがないものについては白黒付けるという勝負はしないことに尽きるのかと思う。現実的にはそう簡単ではないだろうけども。
「間違っていると言うのなら間違っていることを証明しろ」
言葉としてはこれとは異なるけれど、よく分解してみると同質の問いも多い。
仮定の話として、この文言を使って会話を構築してみることにする。
登場人物として仮にAさん、Bさん、Cさんの3人で考える。
(「問い」なので問う方と問われる方の2人でもいいが)
設定として
- 問う側 : Aさん
- 問われる側 : Bさん
- 傍観者 : Cさん
ここで3人の中で議論として上がっている課題として以下を設定する。
3人は共同で池を管理してそこで鯉を飼っている。
しかし、ある日突然その池の鯉がすべて死んでしまっていた。
そして3人の間で以下のような責任問題が問われることになった。
「池の中の鯉が死んだのはなぜか」
Aさんの主張
「昨日、Bさんが持ってきた鯉の餌に毒が入っていたんじゃないか?」
Bさんの反論
「そんなことはない。行商から買った鯉の餌だ。毒なんて入っているわけが無い」
Aさん
「そんなどこから来たかも知らない行商が売りつけてきた餌なんて信用出来るわけが無い」
Bさん
「それはそうだが、そんなことをするような人には見えなかった」
Aさん
「もういい。信用出来るかどうかは関係ない。その餌に毒が入っているか調べてこい」
Bさん
「いや、もう餌は全部やってしまっていて残っていない。確かめようがない」
Aさん
「結局分からないんじゃないか。もう毒が入ってたってことで決まりだ!」
Bさん
「なんでそうなる。確かめようがないならそんなこと言えるはずはないだろ」
Aさん
「そんなに言うなら毒が入ってなかったことを証明してみろ!」
Bさん
「証明っていうなら、そっちが毒が入ってることを証明する必要があるだろ」
Aさん
「うるさい!毒が入ってないことを証明出来ないのなら、やっぱり入っていたに違いない!」
Bさん
「そこまで言うならこっちも言ってやる。絶対に毒なんて入ってなかった!絶対に!」
こうして毒が入っていたはずと主張し続けるAさんと、入っていなかったと言うBさんとで言い争いが続く。
そこにCさんが割って入ってきて
「自分もあの行商と合ったけど、なんか怪しかったな。そいつからめずらしい酒だからと高いヤツを買ったけど飲んでみたら水みたいなもんで旨くもなんともなかった」
Aさん
「ほらみろ。そんなおかしなモノを売りつけるヤツなんだから、餌にだって毒が入ってるのも当然だ!」
結局、話としては餌に毒が入っていたかどうかは分からず、おまけに鯉が全滅した原因も餌のせいとも分からないままだったが、Aさんの主張をCさんが補強することでそのまま押し切られてしまった。
ここでのやり取りの問題としては、
餌に毒が入っていたかどうかを確認する術が無いのに、それを売ってきた行商が信頼できるかどうかで入っていた決めつけてしまっていることである。
Aさんは毒が入っていたに違いないと思い込んだままやり取りを続けている。始めは慎重だったBさんも売り言葉に買い言葉で入っていなかったとしてしてしまった。後はCさんの意見が決め手となり話が終わる。
何らかの原因があって物事は起きる。しかしその原因が確かめようがない場合どうすればよいか?特に損害が発生して責任問題が生じている場合は、往々にして責任が誰にあるかに話がシフトしがちである。かといって損害が発生している以上、原因が分からないからと有耶無耶にすることも出来ない。
このような場合は、場にいる人が思い込みに陥らないよう冷静に一つづつ何が問題でどう解決すればいいかを話し合っていくほかないであろう。
「間違っていると言うのなら間違っていることを証明しろ」という問いは、間違っていると指摘した方が証明するのではなく、「そうに違いない」と言っている方が根拠をもって証明すべきである。しかし間違っていると断言してしまうと当然、間違っていると判断した根拠を問われることにもなる。ここが話がおかしくなりやすいポイントだが、間違っているとした根拠を示せなかった場合、「そうに違いない」という方が根拠もないのに正しいものとして扱われやすいことがある。
正しいか間違っているかが分からない、確かめようがない状態のものについて、強引に白黒ハッキリさせようとしてしまうとこんな状況に陥ってしまいやすいのだろう。避けるためには、確かめようがないものについては白黒付けるという勝負はしないことに尽きるのかと思う。現実的にはそう簡単ではないだろうけども。
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