[雑談] インターネットの検索で求めることの出来る答えについて

スマホさえあればインターネットで大抵のことは答えが見つかる、そういう時代。
何か分からないことがあればすぐに検索。
宿題やレポートも答えを検索。
しかし、検索で出てきた答えは本当に答えなのだろうか?

現実にある問題というのは教科書的な答えがあるわけでもなく、その問題が置かれている条件によって答えは異なる。そもそも答えなど存在せず、多数が答えと思うことがとりあえずの答えとして扱われるということもある。

ネットの検索で見つかる答えというのは、教科書的な答えに近いもの。
問題の要素をある決まった型に当てはめるよう設定して、それを元に筋道が立てられて答えが導き出されるというようになっているものが多い。

もっともらしい答えがあっても現実ではまったく役に立たないというのは、型にはめられないようなことを強引に型にはめることにより生じる。いくら筋道が通っていて答えが出ているとしても、大元の型が現実に即していなければそれは現実的な答えとはならない。

さて、そうした場合に人はどうするのだろうか?
より現実に即した型を構築して、その型を元に新たな筋道を立てて答えを導こうとするのだろうか?
それとも、既存の筋道と答えはそのままに、答えが答えであるべく現実の方を型に押し込もうとするのだろうか?


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