なぜ人は卒業式で泣くのだろうか?そこから人の持つ社会性を考えてみる

よく卒業式で生徒が泣く光景がドラマや小説、マンガ、アニメなどで見られる。当然、現実の卒業式においてもである。
しかし自分は卒業式で泣いたことはなかった。むしろなんで泣くのか理由が分からなかったが、ふととある解釈が思いついたので書き記しておくことにする。


卒業式で泣く理由 一般論

まず卒業式で泣く理由として一般に言われているのを挙げてみる。
(1)みんな(クラスメイト)と別れるのが悲しい
(2)先生と別れるのが悲しい(担任もしくは職員全体)
(3)何年間も学んできた校舎と別れるのが悲しい
(4)もうこの学校の生徒じゃなくなるんだと思うと悲しいとりあえずこれくらいある(細かい事情は除く)。

卒業式で泣かない理由 自分の場合

さてここで自分はそれらについてどう思っていたのか書いてみると
(1)卒業すると言っても別に一生会えなくなるわけでもないので悲しくはない
(2)同上
(3)校舎が無くなるわけでもなく、また無くなったとしても悲しくはない
(4)よく分からない

と、ここで結論としてもいいわけだが(これまではここまでしか考えなかった)、今回はもう一歩踏み込んで考えてみることにする。これにより自分の心理と、世間一般で考えられている心理との解離の原因を探ろうという試みである。

まず(3)(4)に関しては(1)(2)とは違うと思われるので除外しておく。

『(1)みんな(クラスメイト)と別れるのが悲しい』について

ここで自分の心理に注目してみる。まず自覚してるのだけれど自分には社会性があまりない。むしろ他人がどういう社会性を構築しているのかほとんど考えていなかった。ただ社会性がないと言っても友人がいなかったわけではない。どちらかというと人と付き合うときは個人として認識して、その人が持つバックグラウンド(人間関係など)についてはあまり考えてはいなかった。
※何回かこれで痛い目を見たので今ではある程度分かるようになってはいるが…
つまりは人間関係を利用した駆け引きなどアタマに入れないまま学校生活を過ごしていたことになる。それを念頭にして思い返すと小学生でも人間関係でいろんな駆け引きが行なわれていたことが分かる(理解がいまさら過ぎるが…)。

さてここで卒業式の話に立ち返ると、卒業することでそれまで築いてきた人間関係がリセットされることから「悲しい」という感情に結び付き「泣く」という生理現象として現れるのではないだろうか。たとえ進学先がクラスメイトと同じでもまったく別の人間関係を築く必要があり、それまでの人間関係はリセットもしくは希薄となる。つまり自分を含んだ社会性がリセットされるため、ある種の喪失感を感じてたのだろうと思われる。社会性(人間関係)が関与しているとすると、「泣く」生徒が複数出るということに説明がつく。

『(2)先生と別れるのが悲しい(担任もしくは職員全体)』

これに関しても(1)の説明とほぼ同じ解釈が出来る。生徒の社会性において先生が占める割合が大きい場合においては充分理由となる。

さて、なんだかんだ考えてきたがようやく答えらしきものがハッキリとした。しかしこの認識を保持したまま学生時代に戻ったとしても卒業式で泣くことなないと思う。おそらく泣いている人を見て、「あぁ、あの人はこういう理由で泣いてるんだな」と確認できるくらいであろう。

結局のところ自分は社会性がない(うまく認識できない)。だが他者は社会性を持っている(苦労してんだよ!という話はよく聞くけど)。
なぜ自分の思考は一般的な思考(といっていいかは分からないが)とは解離しているのか、これは解明していく必要があり今後の課題である。


結論

  • 人間は社会性を持つ生き物である
  • 卒業式ではその社会性がリセットされる舞台となる
  • 社会性をうまく認識できていないとそれが実感できない(自分の場合)
  • 社会性を認識出来たとしても、それはただ理解できるだけで自分の感情に落とし込むことはできない(自分の場合)

課題

  • 人の持つ社会性をより深く理解する
  • 社会性をうまく認識できなくても社会生活に支障のない生き方を模索する
  • なぜ自分には社会性が備わっていなかったのか、普遍的な理由を探す

コメント

スポンサーリンク


このブログの人気の投稿

Ubuntu Softwareが起動しないのでいろいろと調べてみる(Ubuntu 20.04.1 LTS)

gnuplotでプロットなどの色をcolornameの指定で変更する

Pythonのformat()を使って1桁の16進数でも2桁で出力する方法

gnuplot : プロット画像のサイズ指定について(set sizeとの違い)

MPV(動画再生ソフト)のキーボード操作方法