[雑談] 「やさしい世界」という概念

 ある種のアニメやマンガの作品についてのコメントで言われる「やさしい世界」という言葉。
この言葉を文字だけで説明するのは難しいし、説明してもニュアンスの半分も伝わらないかも知れないけれど、あえて説明するなら、
「現実世界では厳しい状況に陥るような事柄が、その作品の中では厳しく当たられずにやさしく扱われる」
みたいな感じ。
 なんていうか現実で毎日仕事が大変だったり、ツラい状況にあったりするときにそういう作品を見るとなんだか癒やされるみたいな。

 さて、それはさておき。
 この「やさしく世界」という言葉が示す概念。これは果たして誰もが理解出来ることなのかという疑問がある。語弊を生じないよう補足すると、作品や言葉の理解度のことではなく、その概念が理解出来るのかという話になる。

 まず考えてみて欲しい。
 そもそも現実世界が優しければ、「やさしい世界」を見せられてもそれは当たり前の光景にしか見えない。特に子供の頃の世界は大人からの庇護があるために、比較的優しい世界となっている。ただ、そんな時間もつかの間で、成長するに従い新しい世界に進んでいき、その中でいろいろな制約が出てくる。自分が思った通りにいかない、何かしたら理不尽に怒られる、家族や友人と考え方が合わない、どんなに頑張っても誰も認めてくれない、嫌なことでも生きるためには嫌なことをしていかなければならない、などなど。

 そういった自分が見えている世界がどんどん厳しくなっていく過程を経て、「やさしい世界」が描かれた作品を見ることで厳しい現実から癒やされるような感覚を覚える。つまるところ、「やさしい世界」というのを理解するには「厳しい現実」を自らの経験から身を持って知っておく必要がある。

 まぁ長々と書いてきたけど何が言いたいのかと言うと、「厳しい世界」を知っているからこそ「やさしい世界」という概念を理解出来るのだろうということ。
(概念を理解出来ていなくとも、展開や作品の構造を読み取って教科書的に「やさしい世界」という公式に当てはめることも出来る。そういう当てはめによる理解も出来るわけなのだが、それは形式的な理解であって、概念自体を自身で獲得しているかというのとはまた別のことでもある)

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